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源田選手全治三ヶ月の重傷なのにWBC強行出場について。

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おはようございます。複雑な気分のtthgです。

昨日、全治三ヶ月と報じられている源田選手が侍ジャパンの試合にフル出場した。今日はこの件について書きたい。

◆カーネクスト2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準々決勝日本代表9-3イタリア代表(16日、東京ドーム)◇◇「源田壮...◆カーネクスト2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準々決勝日本代表9-3イタリア代表(16日、東京ドーム)◇◇「源田壮...
【侍ジャパン】折れた右手小指で打って、守って、フル出場 全治3カ月からわずか6... - 西日本スポーツ

まず、第一に言いたいのは「WBCは小指とは言え全治三ヶ月の重傷を負ったショートで勝てるような甘い大会なのか?」という点である。昨日は勝ちきったが、アメリカでは相手のレベルがまた一段あがる。昨日は終盤まで試合を観戦していたが、一番影響が出そうなサード寄りの深い位置のロングスローが必要な場面は見当たらなかった。相手投手が強化され1点勝負になるアメリカでこれがチームの致命傷になる懸念はある。WBCの頂点に立つためには健康体のショートを使うのが大前提だと思うのはtthgだけなのだろうか。


次に中野選手および阪神関係者はもっと怒るべきである。元々本年セカンド転向が決まっているのに侍でショートの控え不足という理由で侍対策でショートの練習に時間を割かねばならなかった。セカンド転向初年度でこれはチームと中野選手にマイナスだったのに、正ショートが骨折したというのにショート使わない(しかも、大差がついた終盤ですら出番なし)のなら、「ショート練習する必要あったの?」という話である。この点はあまりに代表チームが配慮に欠ける。

また、ライオンズに対しても侍ジャパンの首脳陣は配慮に欠ける。骨折した選手と使えば、さらなる負傷の悪化により長期離脱の懸念がある。更に言えば後遺症による影響も心配される。チームの大事な主力を預かっているのだからいかに本人が望もうとも、出場を拒否しチームに返すべきである。栗山監督はファイターズの監督だったのだから、チームの主力が大けがを負ったのに出場させられたら所属チーム関係者がどう感じるのかという事をもう少し想像すべきである。

更に言うと、源田選手本人について。源田選手はライオンズと結んだ「5年15億」の契約に対する責任をどう捉えているのか。骨折したのにライオンズ以外の試合に出て長期離脱になった場合、契約に対する責任をどう取るつもりなのか。この状態で指に死球でも受けたらその影響は今シーズンに留まらない可能性すらある。そんなリスクを負った行動は「5年15億」という大型契約を結んだ選手がとるべきものなのか。tthg的には自重すべきだと考える。

他方、ライオンズは球団としてこの問題をどう捉えているのか。こうした事態に対する備えは適切だったのか。この点は正直予想だにしなかったというのはtthgもどうようなのであまり強くはいえないが、例えばアメリカでは「WBCでの負傷に関する保険がおりない」という理由でカーショウ投手が代表を辞退している。アメリカでは「代表における負傷」に関して球団が備えている。ライオンズはその備えがあったのか。なかったとすれば、今後改善が必要である。

WBC米国代表入りが決まっていたドジャースの先発左腕クレイトン・カーショー(34)が17日(日本時間18日)、保険会社の審査が通らず出場を辞退すると発表した。… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)
【WBC】カーショー出場辞退「本当にがっかりしている」故障歴ネックで保険会社の審... - nikkansports.com

もう一つ今後考えて行かなければならないのは、代表と長期契約の関係を整理することだ。今回のように長期契約直後にWBCなどの代表活動で重傷を押して出場するというような事態は球団として回避する対策を講じるべきである。具体には代表活動中は球団が必要と感じたときに球団の指定する医療機関(またはドクター)の診察を受け、診察の結果重大なリスクがあると判断された場合は、球団が代表辞退させることができる条項を契約に盛り込むべきだ。重傷の状態で出ればかつての石井弘寿氏のようにそのまま選手生命が終わる場合もあるのだから。

シリーズ「もう一度投げたかった」──石井弘寿(前編) 2006年、初めて開催されたWBCの日本代表メンバーに28歳の石井弘寿がいた。プロ7年目の2002年に最優秀中継ぎ投手に選ばれ、2005年には4勝37セーブを挙げたサウスポー。しかし、WBC第1次ラウンドの韓国戦に救援登板し李承燁(イ・スンヨプ)…
WBCの悲劇。そのとき、豪腕サウスポー石井弘寿に何が起きたのか|プロ野球|集英社... - 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
シリーズ「もう一度投げたかった」──石井弘寿(前編) 2006年、初めて開催されたWBCの日本代表メンバーに28歳の石井弘寿がいた。プロ7年目の2002年に最優秀中継ぎ投手に選ばれ、2005年には4勝37セーブを挙げたサウスポー。しかし、WBC第1次ラウンドの韓国戦に救援登板し李承燁(イ・スンヨプ)…
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