松井秀喜氏甲子園5打席連続敬遠における明徳義塾馬淵監督は戦術家として賞賛されるべき。
今日は。tthgです。
最近、改めてゴジラ松井氏の5打席連続敬遠について考えさせられた。tthgは当時小学校高学年だったと記憶しているが、本件におけるメディアや世間の反応は全く理解できなかった。「敬遠」は正当な野球の戦術であり、その戦術を駆使して勝つことが何がいけないのかという思いで当時の報道を眺めていた。当時から25年余りの歳月が経過し、tthgもそれなりに大人になった。甲子園というのは「高校の部活」であるがゆえに暗黙のルールがあるということも理解した。しかし、それでもなお、本件における周囲の反応は異常だ。
例えば、「高校生らしく正々堂々戦うべき」という認識があるようだ。しかし、高校野球はそもそも「正々堂々」などという舞台でではない。私立高校は「スポーツ特待生」で全国から才能のある選手を集めいたい放題。高校での活動も本業は「野球」という生活を送っている。公立高校は試験に合格した者しか勧誘できず、授業との両立を求めれれる。「正々堂々」などと言うならば、私立高校が自高の宣伝のために全国から野球ができる生徒を集めて圧倒的な戦力差で試合が行われるシステムこそ糾弾されるべきである。そのような大きな格差を是としておきながら、試合に関してだけ「正々堂々戦え」という主張は如何なものか。
また、「高校野球は教育の一環だから」という話も聞く。しかし、教育だからこそ馬淵監督の採用した作戦は賞賛されるべきである。明徳義塾も私立だが、相手は超高校級のスラッガー。まともに勝負したらホームランや長打の危険がある。明徳義塾は相対的に「弱者」の立場だった。社会に出れば既存の「格差」を前提に様々な活動が行われる。資本力がなく、大企業にまともにやったら勝てない企業がどうやって戦って行くか。それは多くの社会人が頭を悩ませるところである。社会に出てその時に「正々堂々やって負けても仕方がない」でいいのかと言えばそうではない。その状況の中で工夫して活路を見出すことこそ社会人として本当に力のある者である。
そうした状況を踏まえれば「不利な状況に置いて如何に工夫を凝らして結果を出すかを考えること」は「教育上」最も必要なことの一つである。馬淵監督は冷静に戦力を分析して松井氏を敬遠することが勝つことに一番近いと考えた。それこそ馬淵監督の「弱者の兵法」だった。その作戦で見事に勝ったのである。試合は3-2という僅差の試合であり、松井氏にホームランが1本でれば逆転すらあり得た。ホームランが出ていなくとも長打が2本出ていれば逆転したかもしれない。高卒後早々にプロで結果をだした松井氏の実力からすれば敬遠しなければ結果がひっくり返った確率は非常に高い。そう考えた時馬淵監督は「これしかない」という勝つ道を的確に選択しており、その姿に学ぶことは多い。この事実は「教育上」大変有意義なことだと考えるのtthgだけなのだろうか。
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