今晩は。かつての黄金時代の映像を見て、その「球場の空気感」の違いに思いを馳せるtthgです。
今日は「ホームランの価値」という、少し抽象的だがプロ野球の本質に関わる話をしたい。 記録上、ホームランは常に「1本」としてカウントされる。 しかし、優勝を争うチームの四番として放った一打と、最下位が確定したチームで放つ一打は、その意味合いにおいて天と地ほどの差がある。
先日、清原和博氏の現役時代の映像を見る機会があった。 そこで改めて感じたのは、彼の放ったホームランが持つ「圧倒的な質量」である。 最近のライオンズは、残念ながら早々に優勝争いから脱落し、「消化試合」の空気感が漂うことも少なくない。 その中で記録される数字を、我々は無条件に賞賛して良いのだろうか。 今日はその点について、あえて厳しい視点も交えながら書いていきたい。
目次
1.「1本の重み」が違う。プロ野球の本質を問う
まずは、今回の議論の前提となる「1本の重み」について触れておきたい。 野球というスポーツは数字のスポーツである。 打率、本塁打数、打点。これらは選手を評価する上で絶対的な指標として扱われる。 しかし、tthgが常に疑問に思っているのは、その数字が「どのような状況で記録されたか」という文脈が軽視されがちだという点だ。
先日、清原和博氏の現役時代の映像を見返していて、背筋が伸びるような感覚を覚えた。 彼が打席に入った時の球場の張り詰めた空気、相手バッテリーの殺気立った表情。 それらは、今のライオンズの試合ではなかなかお目にかかれないものだ。 誤解を恐れずに言えば、今のライオンズの試合、特にシーズン終盤の消化試合には、ある種の「軽さ」がある。 勝っても負けても順位が変わらない。 そんな状況で放たれるホームランと、かつての黄金時代に「これを打たなければ優勝が逃げていく」という極限状態で放たれたホームラン。 この二つを同じ「1本」として扱って良いものだろうか。
もちろん、選手個人の技術的な凄さは変わらないかもしれない。 しかし、プロ野球がエンターテインメントであり、同時に勝負の世界である以上、その一打が持つ「意味」には雲泥の差がある。 今日はその「質の差」について、少し掘り下げて考えてみたい。
2.清原和博のアーチが「至高」である理由
往年のライオンズファンであれば、清原和博という打者が放ったホームランの独特の「重み」を記憶しているはずだ。 彼が積み重ねた通算525本塁打。 その数字そのものも立派だが、tthgが真に評価したいのは、そのうちライオンズ時代に放った329本のほとんどが「優勝を義務付けられたチームの四番打者」として放たれたものだという点である。
常勝軍団・西武ライオンズにおいて、「打てなければチームが負け、優勝が遠のく」という極限のプレッシャーは想像を絶する。 相手バッテリーも、西武の優勝を阻止するために死に物狂いで攻めてくる。当然、マークも一番厳しい。 そんなヒリヒリするような緊張感の中で、チームを勝たせるためにスタンドへ叩き込む。 これこそが「至高の価値」である。
ただ漫然と甘い球を打ったわけではない。 チームの勝敗、ひいてはペナントの行方を背負い、その重圧に打ち勝って結果を残したからこそ、ファンの心に深く刻まれている。 逆に言えば、どれだけ才能があっても、そのプレッシャーの中で打てなければ「勝負強い」という称号は得られない。 清原氏の凄みは、まさにその環境が育てたものであり、彼自身が勝ち取った勲章なのである。 今の選手たちにこのレベルを求めるのは酷かもしれないが、少なくとも「目指すべき頂」はここにあるべきだ。
3.優勝の望みなき公式戦は「オープン戦」に等しい
少々過激な表現になるが、優勝の可能性が消滅したチーム、あるいはCS争いにも絡めない状況での公式戦は、実質的に「オープン戦」や「練習試合」と変わらない。 tthgは本気でそう思っている。
もちろん、プロとして個人の成績を残すことは重要だ。 年俸査定にも響くし、個人の記録としては残る。 しかし、チームとしての「勝利」が優勝に直結しない試合では、相手投手の攻め方も、こちらの打席での心理状態も、優勝争いのそれとは全く別物になる。
チームの優勝がなくなれば背負うものは「個人の成績」でしかない。 しかし、優勝がかかった試合では、それに加えて「チームを構成する全員の生活」がのしかかる。 この二つの重圧には雲泥の差がある。 「個人の成績」しか背負っていない中で出した結果は、果たして「真の実力」と言えるのだろうか。
「個人の成績」しか背負っていない中で結果をだしても、プロ野球選手としての「格」を上げるものにはなり得ない。 tthgが見たいのは、「打っても打たなくても順位が変わらない一発」ではなく、「チームの運命を変える一発」なのである。 厳しい言い方だが、敗戦処理のピッチャーから打ったホームランでガッツポーズをしている場合ではないのだ。
4.「ぬるま湯」の数字に騙されるな。ライオンズの選手への提言
最近のライオンズを見ていると、あからさまに「終戦モード」の試合が増えてきた。 若手の起用自体は否定しないが、そこで選手たちが「打ってアピールすればいい」「自分の成績が上がればいい」という思考に陥っていないかが心配である。
もちろん、個人の出場機会を確保するためには、どんな場面であれ結果が必要だ。それは理解できる。 しかし、そこで満足してはいけない。 「今の自分は、あくまでプレッシャーのない楽な場面で打っているだけだ」という自戒を持ってほしいのである。
真の意味でプロ野球選手として評価されるのは、チームが優勝争いをしている時、あるいはCSや日本シリーズといった大舞台で、どれだけチームを救う一打が打てるかだ。 ライオンズの選手たちには、今の「ぬるま湯」のような状況での成績に慢心することなく、「チームとして優勝争いに絡むこと」をトコトン追求してほしい。
厳しい環境、逃げ場のないプレッシャーの中でこそ、選手は磨かれる。 かつての清原和博がそうであったように、「勝つために打つ」という状況で結果を出せる選手が育たないと、このチームの再建、そして新たな黄金時代の到来はないと断言する。 今は耐え忍ぶ時期かもしれないが、選手一人一人が「真のプロ」としての矜持を持って打席に立つことを切に願う。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。本記事を評価頂けるようでしたら下記のバナーのクリックをお願いします。本ブログのブログ村におけるランキングが上がりtthgのモチベーションになります。
にほんブログ村
にほんブログ村
本ブログは管理上の理由からコメント欄を停止しています。コメントがある場合は、Xにて本記事へのコメントに「@tthg1994」と「本記事URL」を添えてポスト頂きたく存じます。 なおブログの記事を更新した時は必ずXでも更新通知のツイートをしますので定期的に本ブログを読みに来ている方はXで@tthg1994をフォローして頂くと記事の更新状況がタイムラインに流せるので便利です。