今晩は。酷使が大嫌いだったはずなのに、工藤中日の練習報道に妙にワクワクしている tthg です。
今日は工藤監督の中日ドラゴンズ監督就任について語りたい。ネットでは色々と騒がれているが、tthg的にはこの就任は非常に面白いと思っている。量をこなす、しっかり練習する。昔ながらのコンセプトで基礎を固め、チーム全体を底上げしようという試みだからだ。
かつての広岡流と言えばいいだろうか。あるいは、落合監督が中日の監督就任1年目で優勝した時の姿にも重なる。派手な補強に頼らず、とにかく地固めをして、今ある戦力を鍛えて勝つ。そういうチーム作りである。
ところで、tthgは以前、立浪監督就任時のドラゴンズについて「補強が乏しいまま監督だけ替えて、やった感を演出するのは本末転倒だ」と書いた。
その物差しで言えば、今回も「監督を替えただけ」に見えなくもない。しかし、今回は少し違うと思っている。工藤監督は顔として座っているだけではなく、練習の量と質という、チームの日常そのものを変えようとしているからだ。補強が無いなら、今いる選手を鍛えるしかない。その当たり前を本気でやろうとしている点に、tthgは期待している。
そして、この挑戦は工藤監督自身の評価を決める挑戦でもある。tthgは以前、黄金時代のライオンズ出身者に就任初年度で優勝した監督が多いことを取り上げ、「勝ち続けたチームにいた」経験が監督としてのアドバンテージになると書いた。工藤監督もその一人だ。
ただ、ホークス時代の工藤監督には常に「あの戦力なら誰がやっても勝てる」という声がつきまとった。モチロン、巨大戦力を勝たせ続けるのも簡単なことではない。しかし、決して戦力に恵まれているとは言えない中日で勝てるかどうか。そこで初めて、監督・工藤公康の力量がどれほどのものだったのかが見えるのではないだろうか。
一方で、工藤監督には中継ぎを使いすぎて壊すというイメージもある。ここは正直に書いておかなければならない。tthgは2020年に「酷使は日本社会の闇の縮図である」と書き、怪我でプロ野球人生が終われば野球人としては殺されたようなものだ、とまで言った。
その考えが全部変わったわけではない。勝てるチームが目先の1勝のために将来ある投手を潰すのは、今でも愚策だと思う。しかし、今の中日はどうせ勝てていない。そのチームの選手にとって、本当に怖いのは何だろうか。tthg的には、壊れることよりも、何も起こらないまま一軍の当落線上で年を重ね、静かにユニフォームを脱ぐことの方が怖いのではないかと思う。
つまり、座してプロ野球選手としての死を待つくらいなら、とことん練習し、試合でも少し無理をしてでも勝ちに行く。今まで以上に負荷をかけ、壊れたら仕方ないと割り切ってシーズンを戦う。それは決して悪い選択肢ではない。以前と意見が変わったと言われればその通りだ。「誰が、どんな状況で、何のために負荷を背負うのか」で答えは変わる、というのが今のtthgの考えである。モチロン、それを選手自身が望むのかという問題は残る。だからこそ、首脳陣には負荷をかける理由を選手に言葉で伝え、納得させる責任がある。
昭和的な指導方法で、一部には評判も良くないだろう。それでも勝てるならいいのではないか、というのがtthgの考えである。惜しむらくは、それをライオンズでやってくれなかったかなという気持ちだ。戦力に恵まれない中で今いる選手を鍛え上げる監督は、むしろ今のライオンズにこそ必要なのでは?という思いはどうしても拭えない。
だからこそ、tthg的には来シーズンの工藤中日に注目したい。もし勝てば、「金が無いなら鍛えて勝て」という一つの答えがセ・リーグで示される。それはライオンズのフロントにとっても、決して他人事ではないはずである。
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