次回WBC「無料放送消滅」の危機から読み解く日本の国力低下と、プロ野球「投高打低」の意外な相関関係
今晩は。日本の未来と野球の質を憂うtthgです。
今日はライオンズの話ではなく、もっと大きな視点での野球界、ひいては日本社会に関する話題を取り上げたい。
先日、次回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)について、「日本戦を含め、地上波などの無料放送がない」という話題である。
多くのファンが「なぜだ」「放映権料が高すぎるのか」と嘆いているが、この問題の本質は単なるテレビ局やネットメディアの事情には留まらない。tthgはここに、「日本の国力の著しい減退」という深刻な現実と、それが巡り巡ってNPBにおける「野球そのものの質」にまで影を落とし始めているのではないか、という危惧を感じている。
今日はこの件について、経済的な視点と競技レベルの視点の双方から深掘りしてみたい。
目次
1. 「買えない」日本、「売れない」日本市場の現実
なぜ、WBCの放映権を日本のメディアが獲得しあぐねているのか。
答えはシンプルかつ残酷である。日本が貧しくなり、市場としての魅力が低下しているからだ。
周知の通り、日本の経済成長は約30年にわたって停滞している。90年代と比較して、日本円の対ドル購買力はおよそ2分の1にまで低下したと言われる。一方で、主催国であるアメリカをはじめとした海外では物価高騰(インフレ)が進み、放映権料の相場もドルベースで上がり続けている。
つまり、「ドルベースで高騰する放映権料」に対し、「価値の下がった円」で支払わなければならないという二重苦がのしかかっているのである。
加えて、日本国内に目を向ければ、人口減少と世帯所得の低下が止まらない。テレビ局やネット媒体が放映権料という巨大な投資をする際、それを回収する原資は「広告収入」や「課金」である。しかし、国民(視聴者)の購買力が落ちている以上、スポンサー企業もかつてのような潤沢な広告費は出せない。
「今の日本市場の規模では、高騰した放映権料に見合うだけのリターンが得られない」
これが、ビジネスとして弾き出された冷徹な判断なのである。我々は「テレビ局がケチだ」と批判する前に、我々自身の市場価値が国際的に見て低下している事実を受け止めなくてはならない。
2. 国力の低下は、アスリートの枯渇を招く
この「国力の低下」という問題は、単に「試合が無料で見られない」という話では終わらない。野球というスポーツの根幹に関わる問題である。
野球は道具、グラウンド、遠征費と、非常にお金のかかるスポーツである。バット一本、グローブ一つとっても数万円単位の出費が必要だ。経済的な余裕がなくなれば、そもそも野球を始める子供が減ることは自明の理である。
あるいは、高い身体能力を持っていても、ボール一つあればできるサッカーやバスケットボールなど、よりコストのかからない競技へ流れたり、生活のためにスポーツ自体を諦めざるを得ない層が出てくる。
「経済力がないと、高度なスポーツ文化は維持できない」
3. 「投高打低」の正体は、人材不足にあるのではないか?
ここで一つの仮説を提示したい。近年、プロ野球界で顕著になっている「極端な投高打低」の傾向についてである。
ボールの反発係数や、トラックマンなどの技術導入による投手の進化など、様々な要因が語られているが、tthgはここに「国力低下に伴うアスリート層の希薄化」が影響しているのではないかと考えている。
野球において、最も高い身体能力を持つ選手はどこに集まるだろうか?
間違いなく「投手」である。チームで一番肩が強く、運動能力が高い子供は、少年野球の段階から最優先でマウンドに送られる。これはプロのスカウティングでも同様だ。
もし、日本のアスリート人口(母数)が経済的理由で縮小しているとしたらどうなるか。
トップ・オブ・トップの才能は、変わらず投手に集まる。そのため、投手のレベルはある程度維持される、あるいは佐々木朗希投手のような一部の天才によって進化し続ける。
しかし、野手はどうだろうか。
かつてなら野手としてレギュラーを張れたレベルの身体能力を持つ選手が、母数の減少によって野球界に入ってこなくなっている可能性がある。投手から順番に才能ある人材がポジションを埋めていき、打者のレギュラー枠、特に下位打線や当落線上のレベルまで人材が行き渡らなくなっているのではないか。
つまり、打者全体の層が薄くなっていることが、現在の極端な投高打低の一因ではないかという推測である。ライオンズの貧打もまた、この大きな流れの中にある一つの象徴と言えるかもしれない。
4. 結び:我々は貧しくなったことを直視せねばならない
WBCの放送問題は、私たちが直面している「貧しくなった日本」の縮図である。
そしてその波は、私たちが愛する野球のフィールド内、プレーの質にまで及んでいるかもしれない。「無料で見られないのはけしからん」と感情的に叫ぶだけでは何も解決しない。
経済力が落ちれば、娯楽であるスポーツにお金は回らなくなる。そして才能ある子供たちも野球を選べなくなる。この負のスパイラルが既に回り始めていることを、我々は直視する必要がある。
単に「放映権を買ってくれ」という要望だけではなく、野球界の未来を守るためには、日本という国の足元を見つめ直し、野球人口をどう維持するかという根本的な議論が必要な時期に来ているのかもしれない。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。本記事を評価頂けるようでしたら下記のバナーのクリックをお願いします。本ブログのブログ村におけるランキングが上がりtthgのモチベーションになります。
本ブログは管理上の理由からコメント欄を停止しています。コメントがある場合は、Xにて本記事へのコメントに「@tthg1994」と「本記事URL」を添えてポスト頂きたく存じます。
なおブログの記事を更新した時は必ずXでも更新通知のツイートをしますので定期的に本ブログを読みに来ている方はXで@tthg1994をフォローして頂くと記事の更新状況がタイムラインに流せるので便利です。
