今晩は。ライオンズファン歴を振り返るtthgです。
初めに首都圏さんより、観客動員の記事について下記の記事で言及頂きました。新たなデータをご指摘頂くなど勉強になる記事でした。
リニューアルされた東京ドームでの初オープン戦です。ライオンズが最初のチームになれました。 こんな感じでライトスタンドを覆うようにビジョンが伸びています。しかし… 『東京ドームのリニューアル最初の試合で閑古鳥が鳴く光景を見て思うこと』 - 首都圏でプロ野球観戦(ライオンズを中心に) |
さて、今日はライオンズファンを長く続ける事で見えてくるものについて。YouTubeを見ていると様々な曲の映像に「昔を思い出しました。」的なコメント見かける。多くの人に取って昔聞いていた音楽にはその当時の思い出が紐づいている。そしてその曲を「今聞く事」は現在の体験であると同時に過去を思い出す事でもある。tthg的にはGLAYのライブでHOWEVERを聞くとかはまさにそんな感じである。それはHOWEVERがリリースされた頃に聴くのとは全く違う感覚がある。
そして、ライオンズやベルーナドーム(西武球場)を同様である。やはりこれだけ長くライオンズファンをやっていると色んな思い出がある。それはライオンズに触れる時に色々な形で思い出されるし、その思い出の積み重ねがあるゆえに感じる事ができるものがある。
先日試合後のフィールドウォークでバックスクリーンの下の開閉式の壁のような部分に幾多の凹みがあるのを見て「これは開業以来幾多のホームランボールがぶつかってできたものなんだろうな」と想像して歴史の重みのようなもの感じた。そして、tthg自身がその凹みの原因となったホームランを映像や現地で見てきた。多分初めてベルーナドーム(西武球場)に来た人が同じものを見てもその感じ方はだいぶ違うものなのではないだろうか。
あるいは2020年のレンガの刻印の権利を買ってtthgの名前が敷地に刻まれたが、あれは本当に嬉しかった。子供の頃から親しんで来た球場にほんの一部でも関わる事ができた感慨は些細な事ではあるがtthg的には重要だった。これもまたファン歴の違いにより感じ方の変わる事柄だろう。
念のためために言うと、これは初めて野球に触れた人の感動の価値が低いとか言いたいわけではない。むしろ初めて野球に感動したという体験は後にも先にも一回限り出し、下手をするとそれ以上の感動がないということもある。ただ、年数を重ねる事でそれとは違う質の感動があるという事である。最初の感動が瞬間的な感動だったのに比べて、年数を重ねる事からくる感動は瞬間的には大きくなくてもジワジワとゆっくりと浸透して来るイメージである。
そんな事を考えていたら「辻監督で日本一になる事」はtthg的には重要な要素であるように思えて来た。辻監督は黄金時代のチームの選手のリーダー的存在だった。黄金時代はtthgが初めにライオンズにハマるキッカケを作ったチームであり、そのチームの中心的存在が監督として日本一になるのはtthgに取って特別である。
幸運にもtthgは伊東監督と渡辺GMの監督時代にそれを経験できた。これが外部招聘監督だったら感じ方もだいぶ変わるように思う。更に言うと松井監督で日本一になっても全く同じ意味にはならない。松井監督は黄金時代のチームには一軍にいなかったのでtthgのライオンズファンとしての原点を思い起こさせる存在ではないからだ。
少し前にも書いた思うが黄金時代の指導者達も指導者として高齢になりつつあり現場に出てくる確率は減って来た。松井監督誕生で長期政権となれば黄金時代の選手が監督になるのはラストケースになる可能性もある。そう考える辻監督にこのまま終わってもらいたくない。辻監督の采配には色々言いたい事もあるが、辻監督で日本一を一回でも見たい所である。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
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