今日は矢野監督の退任発見について語りたい。ヤフコメや各種媒体を見るに賛否両論あるようだが、正直意図がよく分からない。下記の記事に本人の言葉が載っているが、イマイチピンとこない。「退路を決める事で〜」と言っているがその目的がハッキリしない。「どの道一年なので」と開き直ってやる事がチームに良い結果をもたらすという事なのか。正直退路を決めるなら「今年優勝できなければ辞める」と自らにプレッシャーをかける事で自らを鼓舞するとかのほうが分かりやすい。
阪神・矢野燿大監督(53)が31日、沖縄県内のチーム宿舎で全体ミーティングを開き、今季限りで退任すると明かした。2月1日のキャンプイン前日に異例の表明となった。テレビインタビューの一問一答は以下の通り。 -今の心境は。 阪神・矢野監督【一問一答】異例の辞任表明は「チーム、申し訳ないけど俺のために... - デイリースポーツ online |
tthg的には「どの道辞める」と決めてしまっては甘えが出てしまう懸念を持つ。職場を見ていても定年間近になった人は、自らに結果が返ってこない長期的な展望とかは考えなくなるし、今さえしのげればなんでも良いという発想になりがちだ。勝っても負けても自らのタイガースでのキャリアに関係がないとすると、ギリギリの勝負になってもトコトン自らを追い込んで勝利を追求するとかできるのだろうか?あるいは前半戦不調で追い上げの兆しもない中で、さじを投げずに職務を全うできるのだろうか。tthg的にはそんなことができる人のほうが珍しいと感じる。人間頑張れるのは「勝たなければ明日がない」と思っている時であり、「勝っても負けても結果は変わらない」状況でも同じだけ頑張れる人は少ない。
唯一の意味があるとすれば、矢野監督が選手すごく慕われているが、フロントがあまり矢野監督を評価しておらず、「誰かの繋ぎとして続投」というケースである。その場合、フロントの横暴に対して指揮官が自らの首を差し出す事で、選手が矢野監督を辞めさせないため頑張れる、或いは「せめて最後は矢野監督と胴上げしたい」と頑張れるなどが成立し得るので意味はある。」ただ、その場合でもこっそり現場でやれば良いので公言する意味はあまりない。
余計な雑音をシャットアウトするためにという記事も見かけたが、辞めると公言すれば「退任か?」みたいな記事はなくなるとしても、後任探しという別の雑音が聞こえてくるのであまり効果があるとは思えない。あるとすれば矢野監督自身にマスコミが関心を失った結果、自らがノビノビやれる?という期待はあるのかもしれないが、失速したりしたら「辞任表明がチームの足を引っ張った」という批判の火種になるわけで、その効果もどこまであるか疑問である。
最悪なのは元々矢野監督ぎ気に食わない選手が一定数いる場合である。そうした選手は「どうせ辞める」と分かっているから言うことを聞かなくなる。賢い選手は表立ってやらずに面従腹背になるから余計厄介である。そこに「矢野監督を胴上げしたい」という派閥が絡んできたら目も当てられない。矢野監督のために頑張りたい派は「なぜ監督のために一生懸命やれないんだ」となるし、矢野監督嫌い派は「辞める奴のいうことなんか聞いてられるか」となるので収集がつかない。本来そういう揉め事になる目を摘み、チームをまとめて行くのがマネージャーたる監督の役割なのだが、その当の本人が原因なのだから監督が収められるわけもない。
というわけであまり、矢野監督の意図は分からないし、リスクのある発言だととも思うが、ライオンズとて似たような状況である。辻監督は余程結果を残さないと今年限りだろう。負けが混んでしまうと「監督はどうせ辞めるよな」という空気が流れて似たようなリスクがある。そういう展開になる事は勘弁してほしい。