甲子園に挑戦できない事がこれだけ大きく取り上げられる事自体が大きな問題である。

今晩は。母校が甲子園予選でコールド負けしたtthgです。

米子松蔭高校が下記の通り、学校関係者にコロナ陽性が出たという理由で甲子園予選を辞退した。

これについて各方面から「やり過ぎた」という批判が相次いでいる。

この件についてはtthgもやり過ぎだと思う。一方で、「そこが論点なのか?」という思いもある。コロナによる出場辞退は彼等だけでなく、新潟県の中越高校や福井県の福井商業という強豪校もコロナによって出場辞退をしている。



米子松蔭と中越高校などの違いは部員に感染者が出たという点にある。感染拡大防止の観点から後者がより強い措置が必要という理屈は分かる。しかし、高校3年間血眼になってやってきた事を発揮する舞台を一瞬で失う理不尽さという点では両者に差異はない。感染者を出した部員達が悪いと言われるのかもしれないが、感染するかしないかを部員のせいにするのはいかがなものか。隠れて飲み会やったとか特殊事情がある場合別として、プロの集団であるはずの病院や介護施設だってクラスターは発生している。更にいうとプロ野球だって感染ゼロは実現できていない。そういう現状で感染症について素人の高校や高校生に完璧な防疫をしろというの酷であり、それを前提に感染した高校や生徒の自己責任を問うのは乱暴な議論である。

こうした現実を考えれば、大会をやる以上、自分達の努力を超えてある種の流れ球が飛んで来て、悔しい思いをする生徒達が出る。これは必然の話であり、当然想定しておかなければならない。米子松蔭のケースはやり過ぎだとしても、この状況で甲子園予選を行えば、可哀想なケースは一定程度発生すると考えるべきである。

最も、現状の高校野球のシステムを考えるとある程度犠牲になる高校が出てもやるしか選択肢はなかった。そういう意味では仕方ない。だが、本質的な問題は一発勝負のトーナメント方式の甲子園というイベントがあまりに多くのものを背負い過ぎたという事である。甲子園はそもそも高校の部活動であり、学生の本分としての勉強に付随する要素である。一つの試合の勝ち負けに一生がかかるべきものではない。ところが、歴史と伝統ある甲子園はある種の商業的要素を持つようになり、それがプロテストの要素まで持ってしまった。

少なくともプロテストの要素はプロ球団がユースチームを組織して長いリーグ戦の中やるべきものである。リーグ戦であればコロナで2週間とか休んでも、「悲嘆にくれる」みたいな話にはならない。育成面でも1発勝負より長いスパンで実力を見る方が、より正しい評価もできる。プロへの道はこうした甲子園とは別のシステムで開かれていて、甲子園が学生の本分である学業に付随する程度のもので収まっていれば、「甲子園が全て」の学生生活にはなりにくい。そういう環境であれば、今回のような論争があっても随分穏やかな話になっていたはずだ。

甲子園出場辞退でこれだけ世間が騒ぐのは、高校の部活道に過ぎないはずのものが肥大化して多くのものを背負いすぎたからだ。そろそろ、この歪な制度を変革すべく議論した方が良い。甲子園をなくせとは言わないが、プロの球団が高校年代で指導をするシステムを構築して、甲子園はあくまでも部活道として行い、それが学生生活の全てという歪な状態からは解消すべきである。そうしないといつまでだっても、「勝ち負け以外のなんらかの事情で甲子園に出られない」という事が「社会問題になる」というおかしな現象はいつまでも解決しない。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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