乱闘の裏にあるプロ意識。
今晩は。昭和の野球も好きなtthgです。
昭和の野球から変わった点というのは多くあるが、そのうちの一つに「乱闘」が上げられる。いまでも死球で両軍の選手がグラウンドに出てきてにらみ合うという光景は時々見かけるが、本気で殴り掛かるとかは非常にすくなくなった。しかし、昔は結構な頻度で死球を当てられた打者が投手に襲い掛かるということがあった。正直、厳密な意味で言えば「暴行・傷害」という刑法犯の構成要件を満たす乱闘を今やるというのは、社会的に是認されないだろう。(*ちなみに暴行・傷害の構成要件をみたす即犯罪になるわけではない。プロレスなどは業務上の正当行為として違法性が阻却される。tthg個人としては昔の野球の乱闘もその類だと考えている。)だが、昔の乱闘にもそれなりに意味はあった。
(少なくとも昭和の時代は)投手が故意に打者の身体付近に投げ込んで自分の投球の幅を広げようとしていた。(身体近くの球を打者が怖がれば踏み込みが甘くなるので必然的に外の球を打たれる確率が減る。)一方、それをやられた打者が怒って乱闘に発展する。あるいは、死球を受けた打者が所属するチームの投手が逆に相手打者に対して故意死球で応戦するということもあった(ある)。そして今度はそれを受けた相手打者が怒って乱闘に発展するというパターンもある。他にも失投が頭付近にきて外人がいきなり激高とかいうケースもあった。
死球というのは、選手生命どころか人の命に係わることである。(人に殴り掛かる行為への責任は別の問題として有り得るが。)危険な球への怒りは「自分のプロ野球生命又は命を守る」という強い意思であり、一概に否定すべきものではない。少なくとも相手に故意死球の疑いのある時に怒って投手に詰め寄るぐらいは許容範囲である。
一方、投手の側について言えば、「当てる」という意思はなく単に「ボールゾーンの身体近め」に投げ込むのは高等戦術である。もちろん頭に当てないという最低限のルールは守らないといけないが、故意に身体近くになげるのはルール上は問題ない。(むしろ当てる意思が明確な「報復死球」は明確にルール違反。)結果として当ててしまうとして、プロとして勝ちを追求する姿勢としては是認されるべきである。(死球はよけ方が下手という面もある。)
最近は代表チームでチームメイトになるので「身体近くに投げる」という戦法自体が減ってきたからなのかもしれないが、仮にその辺がなあなあになってなった結果乱闘も減っているとするならば、人としては褒められても「プロとして」どうなのかとう疑問はある。乱闘もこうしたプロ意識のぶつかり合いの結果の産物としてとらえるならば、その見方は大きく変わるのではないだろうか。
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乱闘の裏にあるプロ意識。 https://t.co/CfOGfbrwSz— tthg1994 (@tthg1994) May 1, 2020