甲子園予選を無観客で実施するなら高校側に納税者への説明責任が発生する。

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今晩は。甲子園問題を考えるtthgです。

先日学校が休校しているのに練習を続ける高校野球について書いたが、下記の通り今日の報道によると夏の甲子園予選を無観客での開催が検討されているという。

当然のようにネットでは「インターハイが中止なのになぜ野球が特別?」と批判的な声が上がっている。一方tthgのtwitterのTLには「インターハイとは開催主体が違うから対応は違って当たり前」とか「部活の当事者でない外野がとやかく言うべきではない」といった意見が流れてくる。しかし、本件は「外野がどう見るか」という点は極めて重要である。



そもそも本件において日本国に住んでいて税金を納めている者の中に「外野」は存在しない。なぜなら、高等学校は公立私立を問わずなにがしかの税金が投入されており、国民全員が費用負担者だからである。甲子園本戦にも公立学校は出場するし、予選なら公立の方が多数という県はごまんとある。その中で「学業」という本業を「自粛」しておきながら「部活動」という課外活動で小さいといえクラスター発生リスクを負うことが納税者に許されるのかという問題なのである。

納税者が、高等学校の活動について異を唱えるのは、費用を負担しているファンが球団を批判することとなんら変わらない。「費用を負担しているファンは球団批判をする権利がある」というならば、納税者たる国民も公的な存在である高等学校の在り方についても意見を言う権利があることを認めなくてはいけない。また、高等学校側(部活動の当事者)には納税者に対して説明責任が発生することも認識する必要がある。

少なくとも、高野連及び、甲子園予選に参加する高校は世論に対して説明責任を負っている。無観客ならリスクはない或いは、リターンに対してリスクが無視できる程度に小さいことや、本業たる学業を自粛しても部活動は継続する根拠について丁寧に説明しなくていはいけない。「球児たちの夢や将来」という言葉も飛び交うが、本件騒動で夢や将来を棒に振るリスクを負っている人は無数にいる。親が自営業で倒産危機にある家庭の子供は夢どころか生きていくことに不安を覚えている。それでも甲子園を開催する意義を説明するは正直簡単ではない。納税者が納得する説明をするのは、倒産や多額の借財のリスクのために已むに已まれず営業している飲食店が世の中から同情される確率よりよほど低いと思うが、その問題に目を背けて強硬開催するのは公的存在である高等学校の課外活動として無責任な行為である。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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