学業を休業しても練習を続ける高校野球から浮き彫りになるプロ野球の責任。

今晩は。プロ野球選手の育成に疑問を持つtthgです。

下記の記事で、全国的に非常事態宣言が発出されてもなお、チーム練習を続ける八戸学院高生の仲井監督が好意的に紹介されている。

この記事では、「高校後も野球を続ける選手たちに最適な環境を開いてあげるためにはきれいごとだけではすまされない」という仲井監督を姿勢を好意的に捉えている。確かに、仲井監督が言うように球児たちが「野球をやるためにうちに来ている」という現状からすれば、感染リスクがあろうとも練習するという姿勢には一理ある。将来をかけて真剣に取り組んでいる球児たちからすれば練習は「不要不急」どころか必要不可欠であろう。



しかし、それは本当にあるべき姿なのだろうか。この記事に寄れは、八戸学院光星は「3月4日に休校を決定」したとのことである。八戸学院光星高等学校は私立とは言え「高等学校」である。高等学校の高校生の本文は「学業」である。それが成り立っているから、日本の高等学校として認められ、税金で助成金が支払われている。最近では高校無償化の流れの中で授業料の負担まで税金で行っている。(私立高校への助成制度などは下記を参照されたい。)


高等学校とは私立だとしても「公的」存在であり、各種法制度の下で健全に運営される必要がある。そして、その法制度の中で「学業ではなく野球が本文です」という学校は果たして各種税金によって運営されるべき存在なのだろうか。もちろん野球の強豪私立高校が実質的に「野球が本文」であったことは疑いようのない事実だし、それが暗黙の了解として公認されてきた歴史もある。しかし、このコロナ騒動による命の問題が取りざたされている中、公に「野球のために高校が存在します」と言って良いかは別問題である。少なくとも野球に無関心・あるいは懐疑的な国民に対して「コロナの自粛要請を無視して本文である学業よりも野球を優先する高校を税金で支援すること」を納得してもらえるのかという問題点を指摘されてしかるべきである。

ところで、この問題は高校野球界にとどまる問題ではない。本件は、日本の野球界が「野球の普及と高校生年代における育成を学生野球に頼ってきた」という歴史が生んだ問題である。本来、「野球で将来を切り開いていくという意思をもって野球をする選手の育成」はプロ球団の役割である。学生スポーツは学業の傍らで行われるものでその中で将来それで飯を食いたいという意思を持ったものがプロ球団の門をたたくというのが本来のあり方である。

例えば、欧州サッカーの名門バルセロナはカンテラという育成組織を持っていて、小学校低学年頃からプロを目指して育成しているが、単にサッカーだけ教えるのではなく、学業も両立できるよう配慮して運営している。(カンテラの概要は下記の通り。)


世界を見渡せば、プロの側が、公教育の部分にも責任を果たすという体制で運営されているスポーツもある。そういう世界から見たら、公教育を担う高校の側が「学業」という本文をそっちのけで野球を優先するなどというのは「あり得ない」話だろう。野球を教育の一環で利用してもらうのはありがたい話だし「甲子園」に夢を持って野球をするのも高校生の特権でもある。しかし、「野球で生涯飯を食いたい」という選手の育成は公教育の中で行われるべきことではない。少なくとも、今回のようなことが起こるようでは、公教育の範疇で行われるのは弊害が大きい。

日本は不幸なことにどんどん不寛容な社会になりつつある。いつまでも「野球優先の学校に公金が投入されること」を是とする世の中であるという保証はどこにもない。今回のコロナ問題の中「倒産のリスクを現実的に抱えてかつ補償もないのに自粛を強要する」という空気が「野球優先の学校」に矛先を向け始めたらゾッとするという方はtthgだけではないだろう。「学業という本文をおろそかにしている私立高校」にプロ野球選手の育成を任せる体制はで良いのかということを真剣に考えるべき時にきているのではないだろうか。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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