tthgの頭の中からデストラーデ氏のホームランタイトル歴の記憶を抹消したブライアント氏の脅威。
今晩は。しょうもない打ち合わせで仕事が長引いたtthgです。
今日はあまりハッキリと書きたいネタがないので昔話でも。これはおそらく黄金期からのライオンズファンでも共感して頂ける方は少ないだろうが、tthg的に「黄金期の助っ人デストラーデ氏がホームラン王になった事がある」と言われてもあまりピンとこない。実際は、来日直後の一度のライオンズ在籍時は4年のうち2年目以降3年連続でホームラン王で、初年度はシーズン途中からの合流という成績であり、「デストラーデ氏のホームラン王獲得を知らないライオンズファンはモグリでは?」ぐらいの話である。
なぜそんな事になっているかというと、一つはtthgが「個人タイトルにトコトン興味がない」という事情がある。tthgは別に個人タイトルを取る選手がいなくても優勝できれば構わないし、一年だけ確変しても次の年はまるでダメになるぐらいならコンスタントに.280で25本ぐらい打ってくれる選手がいて欲しいという価値観なので、ライオンズの選手が個人タイトルを取っても全部を記憶していない。
とは言え、流石に中村選手にホームランタイトル歴があるぐらいは覚えている。(何回タイトルを取ったかまでは即答できないけれど。)それなのに、デストラーデ氏のホームランタイトル歴にピンとこないのは同年代に活躍した元近鉄のブライアント氏の存在が理由である。兎に角当時ホームランと言えば真っ先に思い浮かぶのがブライアント氏だった。それはtthgの中では「当時のホームラン王とはブライアント氏を連想させるぐらい強烈な刷り込み」になっていた。
なぜ、そんな刷り込みが発生したのかというと、88年と89年のライオンズと近鉄バファローズによる壮絶な優勝争いが原因である。88年は伝説の10.19で近鉄が引き分けてライオンズが優勝するのだが、88年の近鉄にシーズン途中から加入してものすごい勢いでホームランを量産していたのがブライアント氏だった。このブライアント氏のホームランは、当時家にあった新聞のスポーツ欄とラジオが情報源の時代でも恐怖覚えた事を今でも覚えている。
そして、翌89年はライオンズと近鉄バファローズによるシーズン終盤の直対ダブルヘッダーが優勝の分水嶺だった。ここで伝説の「ブライアント4連発」でライオンズは優勝を逃した。このホームランの印象は物凄く鮮明で、tthgの中ではブライアント選手は「いつも今の山川選手ぐらいのペースでホームランを打っている」かの如く感られた。
実際にはブライアント選手は翌年から多少ペースが落ち、89年に来日していていたデストラーデ氏が90年から3年連続ホームラン王になるのだが、tthgの中では前年までの強烈な経験により、記憶の中に留まらなかった。ハッキリとは覚えていないが、デストラーデ氏のホームランタイトル歴を認識したのは00年代に入ってからだったように思う。
それぐらい、88-89のブライアント氏のホームランは強烈なインパクトを持っている。黄金期からのライオンズファンでもデストラーデ氏のホームランタイトル歴が記憶から抹消されているという人は少ないだろうが、ブライアント氏のホームランの脅威が物凄い圧力だったという話は理解してもらえる事と思う。
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— tthg1994 (@tthg1994) May 10, 2022
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