おはようございます。早起きに成功したtthgです。
ふと、ライオンズのファンなのにこれだけブログで批判記事を書いているのはどうなのか?と考えてみた。一般論として「応援しているのに批判するのは理解できない」という意見は時々聞くが、tthgはそれには賛同できない。応援している球団や選手の言動でも「ミスはミス、失敗は失敗」である。一般人だって仕事でミスをしていつも「ドンマイ」で済むわけではない。職業として「観てもらう事が仕事」である彼らがミスをして批判されないのは都合がよすぎる。一方で、tthgは別の趣味であるGLAYの音楽鑑賞で批判や文句は出てこない。もちろん全く不満点がないかというとそうでもないが、圧倒的にGLAYに対する態度の方が肯定的なのが実情だ。
それはなぜなのかという事を色々考えていたのだが、一つの結論として野球は「常に敗者が存在する」事が大きな理由だという事になった。野球は優勝チームでも6割5分とかの勝率しかない。基本的にチームとして3割以上負けている。個人で言えば打者は7割凡打する。その負けやミスの中にどうしてもファンが我慢ならないものがある。だからファンが「ワイワイガヤガヤ」議論するのである。
しかし、音楽の世界はそうではない。基本的に自分の好みの曲を作るアーティストを好きになる。だからファンの中から楽曲への批判は出にくい。モチロン皆無ではないが楽曲が好みの曲調から変わってしまえば自然とファンを辞める方向に向かうので「あれがダメ、これがダメ」というファンからの異論が出にくい。それからtthgのようにある程度GLAYにほれ込んでしまうとなんでも許せるようなところがある。それは音楽の世界に「明確な敗者やミス」が存在しないことが大きい。音楽は聞き手の解釈次第で評価は大きく変わるからだ。
だが、野球は「負け」や「凡打」「失投」は誰の目にも明らかである。そしてそれを見たファンは時に憤るのである。それは必然だが、周りの人から見たら「金を払ってストレスを貯める」という滑稽な行為でもある。そう考えると「なんでそんな事をしているのだろう」という思いにもなる。
しかしながら、実はそれこそ野球の(スポーツの)最大の魅力でもある。敗者がいるということは明確に「勝者」が存在する事でもある。多くの敗戦の上に「勝利という至高の歓喜の瞬間」が成り立っている。この勝利の喜びは「敗戦」という肥しがなくては成り立たない。そして、これは明確な敗者が存在しない世界では味わえない喜びだ。だからどんなに多くの敗戦があろうとも、「未来の勝利」を望んで応援する。また、その過程で「批判や文句」が出てくるのである。
願わくは、敗戦のストレスは少ないほうが良い。我がライオンズはもう10年以上日本シリーズに出場してもいない。毎年日本シリーズ出場がデフォルトだった時代を知るtthgのようなファンにはこのストレスは非常に大きい。来年こそは少なくとも日本シリーズの舞台でワクワクしながら野球を観たいものである。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
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