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プロセスの良し悪しは結果に対する責任を追求した後から論じるべきである。

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今日は。結果も大事なtthgです。

昨晩、元ドラゴンズ監督の谷繁氏の著書「谷繁元信キャッチャー思考」を読んでいたら下記の記述を見つけた。

「偶然生まれたよい結果」よりも「根拠ありきで考えた末の失敗」のほうが次につながる

谷繁元信著,「谷繁流キャッチャー思考」,2017年,日本文芸社p152より引用

この言葉自体にはtthgも賛成する。運良く勝っても次につながらない。だからtthgもそうした試合やプレーには厳しい意見をブログに掲載する事もある。現場の選手や監督が根拠を持って失敗して次な改善を意欲を見せているならば先に希望が持てる。それよりも根拠ある失敗が良いというのもそのとおりだ。しかし、それは結果に対する責任をトコトン追求してからの話だ。プロセスが先に来て、結果が出なかった事の言い訳になるとするならば、それには違和感を禁じ得ない。


根拠を持って失敗する事が未来の勝利に繋がるとしても、そのプレーや試合を見にきたファンに結果を出すというプロとしての義務を果たしていない事は変わりがない。ファンは良いプレーや勝利を見たいがために対価を払っているのであり、選手の育成を見るためにお金を払っているのではない。(二軍の場合は別だが。)根拠がない失敗は論外だが、根拠があっても失敗は失敗である。その失敗は対価を払って試合を見にきたファンに対する義務を果たしていない。だからどんなに次につ繋がるとしても失敗という結果に対する責任を感じる必要がある。

だから、現場が安易に次に繋がる事を強調するのはいかがなものかと思う。失敗しても次に繋がるを強調し過ぎると結果に対する責任感が薄れる。どんなに次に繋がる失敗だとしても結果が出なければまず、その結果に対する責任を強く感じる事が先である。「お金を払って見にきてくれたファンに申し訳ない」という強い気持ちで結果を反省する。その上で、失敗の原因を追求して、改善する。そういうサイクルであるべきだ。

その点二軍は違う。二軍は極端な話結果よりもプロセスで良い。育成が目的だからだ。(モチロン二軍も結果を出すための育成だから結果も大事だが。)しかし、一軍は結果でなければどんなに内容が良くてもプロとして責任を果たしていないという前提でなくてはいけない。その上でプロセスの検証がある。勝っても不思議の勝ちであればそれを必然の勝ちに変える努力が必要だし、根拠のある負けならばその根拠を改善する事が必要である。その順番を間違えないために現場は根拠ある負けを安易に肯定してはいけない。まずは結果に対する責任という姿勢を強調して、選手が負けの言い訳にならないような環境を作ってからプロセスの話をすべきである。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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