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記録のためだけに出た連続試合出場に意味はない。

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今晩は。連続試合出場も良し悪しだと思うtthgです。

昨日の試合で源田選手のルーキーからの連続フルイニング出場記録が途絶え、代走で試合に出たものの規定により連続試合出場も途切れた。tthg的にはこの記録が途絶えた事をある意味喜んでいる。もちろん源田選手の記録が途絶えた事自体を喜んでいるわけではない。無意味な記録だけの連続出場が続く事を回避できた事を喜んでいる。プロ野球には連続試合出場記録がかかると怪我でまともにプレーできないのに形だけ出場することがある。tthg的にはあれは本当に嫌だ。その意味でいうと連続フルイニングだけでなく連続試合出場も途切れた事は良かった。なまじ連続出場が続くと無意味な代打などがおこなれかねずtthgはそれを見たくないからだ。



なぜ記録のための出場が嫌いかと言うと、連続出場の意味を根本的に覆す行為だからだ。連続出場の素晴らしさは、記録保持者が試合出場するに値するパフォーマンスを持続している事の証しだからである。毎年のように新しい選手がプロの世界に入ってくる中、連続出場する為には常に一流の結果を残さなくてはいけない。普通のレギュラークラスでもチームが低迷すれば補強で別選手がくる。今年で言えばマリーンズの鈴木大地選手などはレアード選手補強のあおりを受けて開幕レギュラーを外された。常に一流の選手だけがこの記録の挑戦権を得られる。だからこそ連続出場の価値は高いのである。

源田選手に関して言えば、更にその上を行くフルイニング出場まで継続していた。フルイニングのためには走、功、守それぞれにおいて結果を出さなければいけない。打てるだけでは代走や守備固めでフルイニングは途切れる。守れても打てなければ代打がある。足が微妙なら勝負どころで代走を出される。源田選手はそれらの壁をすべて乗り越えて299試合の記録を残してきた。しかもルーキーの開幕戦からだ。源田選手がルーキーの時から出場するに値するプレーヤーであり続けた事にこの記録の価値がある。

怪我でまともにプレーできないのに出るのは本来の連続出場とは違う。本来の連続出場は野球選手として実力が一流である事の証しだが、怪我してまともにチームに貢献出ないのに出るのは記録のための記録である。記録のための記録をいくら積み重ねても、一流の結果を出し続けた事の証にはならない。その記録のための記録が一流の結果を出し続けた事の証と同列に扱われるべきではない。だから、源田選手がプレーの中の不慮の事故で記録が途絶える方は残念だが、見せかけだけの記録のための記録が更新されなかったことは喜ばしい出来事なのだ。

そもそも源田選手の新人の開幕選手から299フルイニング出場は歴史的快挙である。前の記録保持者は国民的英雄である長嶋茂雄氏。平成の時間をすべて使ってもやっと一人というレベルの話である。長嶋氏のルーキー時代は50年以上前のである事を考えれば令和の時代中の更新すら危うい程だ。299で止まった事を嘆く必要はない。むしろ、記録が途絶えた今だからこそ、この記録の偉大差を噛み締め賞賛すべきだ。tthgはルーキーの開幕から走、功、守全てにおいてハイレベルな結果を残して辻ライオンズの屋台骨を支えた源田選手を心から賞賛したいと思う。そして、源田選手が1日でも早く戻ってくる事を願いたい。

tthg的に一つだけ残念だったのは源田選手の大記録の最後を見届けるチャンスかあったのに、9回を諦めて球場を後にしてしまった事だ。源田選手の記録はフルイニングだから、9回のゲームセットの声を聞かなければ記録の最後見届けたことにはならない。去年の福浦選手二千本に続いて歴史の証人になれなかった事は残念である。福浦選手には申し訳ないが二千本は数年に一回出るが、源田選手の記録は半世紀に一回の記録なのだから。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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