誰が言ったかではなく、何を言ったかで読むべきだ。
今晩は。野球未経験のまま野球を語り続けている tthg です。
今日は「誰が語るか」と「何が語られているか」について語りたい。野球の話題からは少し外れるように見えるかもしれないが、tthg的にはこのブログの立ち位置そのものに関わる話である。SNSを眺めていると、時折「野球をしたことのない奴が語るな」「専門家がそう言っているんだから絶対だ、素人が何を言っている」といった論調を見かける。
モチロン、これを完全に否定しきれるとは思わない。実際にその場に立った人間にしか分からない感覚は確実にある。150キロのボールがどう見えているのか、痺れる場面のマウンドの空気がどうなのか、それは経験者にしか語れない領域だ。専門家の言葉に重みがあるのも当然である。しかし、それだけで全部を割り切ってしまえるかというと、tthg的にはどうも違う気がするのだ。
というのも、世の中には分野をまたいで通用する「一般化されたスキル」のようなものが確かに存在するからである。表に出てくる現象と、その奥に横たわっている本質は、得てして別物だ。よくよく分解してみると、まるで違う分野の話であっても、共通するスキル、共通する考え方、共通して重要なことが顔を出す。それを抽象化して他の仕事に応用できる人がいる。むしろ、優秀な人であればあるほどそれができるからこそ成功している、という面すらあるのではないだろうか。
例えば、最近YouTubeのショート動画でイチローさんと武豊さんの対談が流れてきた。野球と競馬、まるで違う世界のはずなのに、お互いの経験値の中で分かり合えていることがいくつもあるように見受けられた。イチローさんとトヨタの豊田章男さんの対談もそうである。ビジネスと野球という全く別の場所で結果を出してきたお二人が、物事の深層において何が大事かという一点で、しっかり通じ合っているように見えた。
そう考えると、専門家が自分の専門分野について常に全部正しい、ということはないはずである。むしろ本当に突き詰めた人ほど、世の中一般に通用する処理の仕方、他分野にも効く処方箋のようなものを書けるようになる。裏を返せば、他分野から「こうではないか」という声が上がったとき、その人が野球の世界で成功しているかどうかに関係なく、本質を掴んでいる人の言葉であれば耳を傾ける価値がある場面は確実にある。
念のために付記するが、これは専門家を軽んじろという話ではないし、素人の思いつきが経験者の知見に勝ると言いたいわけでもない。SNSは玉石混交である。恐ろしく鋭い意見もあれば、雑なだけの意見もバカスカ流れてくる。だからこそ、選別の基準を「誰が言ったか」に置いてしまうのが危ういのだ。属性というのは判断のショートカットとしては便利だが、便利すぎるがゆえに、中身を読まずに切り捨てる道具になりやすい。
時々、プロが素人に向かって「黙れ素人」的な発信をすることがある。それを無条件に正しいと受け止めるのは、tthg的には少々危険だと思う。
tthg的には、受け手の側も発信者の側も、その主張が本当に物事の芯を食っているかどうかで検討すべきだと思う。発信された言葉を、発信者の肩書きから一度切り離して読む。そのうえで芯を食っていないと思えば退ければいいし、経験の有無に関係なく鋭ければ受け取ればいい。表面上の属性に惑わされないこと。それが、玉石混交の中から玉を拾うための一番の近道ではないだろうか。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
