今晩は。ここ数年の野球のトレンドに少し物申したいtthgです。
ここ数年、プロ野球界全体を覆っている「投高打低」の傾向。これについて、一人の野球ファンとして、またtthgとしての率直な思いを書いておきたい。
以前からこのブログでも書いている通り、tthgはどちらかと言えば「投手戦」が好きだ。乱打戦の大味な展開よりは、1球の失投が命取りになるような緊迫した1-0のゲームの方に野球の醍醐味を感じるタイプである。
しかし、だ。最近の「投高打低」によるロースコアゲームの乱発には、正直なところ興ざめしている自分がいる。今回は、なぜ今の「投手戦」がつまらなく感じるのか、その理由と打者への要望について語りたい。
1. 「緊張感」と「諦め」の違い
本来、レベルの高い投手戦というのは、「得点圏にランナーを進めれば、誰かが決めてくれるかもしれない」という期待感があってこそ成立するものだ。
相手が沢村賞クラスの好投手であっても、「ここでクリーンナップに回れば何かが起きる」「ワンチャンスをモノにできる」という予感。これがあるからこそ、0-0で進むイニングの一つひとつに手に汗握る緊張感が生まれる。
しかし、最近の試合はどうだろうか。チャンスで打席が回ってきても、「どうせ打てないだろう」「ここで三振か内野フライだろう」という諦めにも似た感情が先に立ってしまうことが増えた。
「期待感」を持って見守る投手戦と、「どうせ点が入らない」と冷めた目で見る投手戦。スコアボード上の「0」の並びは同じでも、その中身(エンタメとしての質)は天と地ほどの差がある。
2. 数字が奪う「ワクワク感」
実際のデータを見れば、ヒットの本数自体は劇的に減っていないのかもしれない。だが、見ている側の心理に影響を与えるのは「見えている数字(打率)」だ。
かつては3割打者が当たり前のように各チームにいたが、今はほとんどいない。2割台前半の打者がスタメンに複数並び、ひどい時には1割台が含まれているのを見ると、試合前から「点が入りそうだ」という期待感が持てない。
字面としての打率の低さが、試合の「ワクワク感」を削いでいるのだ。
3. それは「投手戦」ではなく「貧打戦」
その状況下で「投手戦」と言われても、それは投手が凄いというよりは、単に打者が打てないだけの「貧打戦(塩試合)」に見えてしまう。これでは正直、物足りない。
誤解のないように言っておくが、tthgは毎試合アメフトのような馬鹿試合(乱打戦)が見たいわけではない。1点を争う好ゲームこそ野球の華だ。
だが、その「好ゲーム」を成立させるためには、打者のレベルが一定水準を超えていなければならない。「投手が凄すぎるから仕方ない」で済ませるのではなく、エンターテイメントとして成立する攻防が見たいのである。
4. 打者の奮起が野球を救う
投手の進化、ボールの質の変化、守備シフトの高度化など、打者にとって不利な要素が多いのは理解している。それでも、もう少し全体の打撃成績のレベルを上げてもらわないと、野球というコンテンツ自体がつまらなくなってしまう恐れがある。
打者にはその上を行く工夫と進化を見せてほしい。プロである以上、ファンに「打ってくれるかもしれない」という期待を抱かせるのは義務だ。
今の閉塞感を打破し、本当の意味で痺れるような「極上の投手戦」を取り戻すために。各球団の打者たちの奮起を、切に願っている。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。本記事を評価頂けるようでしたら下記のバナーのクリックをお願いします。本ブログのブログ村におけるランキングが上がりtthgのモチベーションになります。
本ブログは管理上の理由からコメント欄を停止しています。コメントがある場合は、Xにて本記事へのコメントに「@tthg1994」と「本記事URL」を添えてポスト頂きたく存じます。
なおブログの記事を更新した時は必ずXでも更新通知のツイートをしますので定期的に本ブログを読みに来ている方はXで@tthg1994をフォローして頂くと記事の更新状況がタイムラインに流せるので便利です。