「ライオンズらしい野球」という発想の危うさ

今晩は。勝ちに拘る事が大事なtthgです。

「ライオンズらしい野球」とは何なのか。下記の記事で外崎選手が秋季キャンプの締めで「新しいライオンズらしい野球を」と語ったと報じられている。

松井監督が就任した事により、新しいチームの目指す方向性を定める事は大事である。例えば、
打ち勝つ野球なのか、あるいは一点を守る野球なのか。打ち勝つにしてもホームランで大量点を目指すのか、それともかつてのベイスターズのマシンガン打線のように連打で取りに行くのか。守るにしても早めの継投重視なのか、先発に長い回を任せるのかという違いもある。監督それぞれの色に合わせてキャンプの練習メニューを変え、自主トレで求めるトレーニングを変えて行く事は肝要である。根本的にはフロントが取ってくる選手の方向性も変える必要もある。



そう言ったチームの軌道修正を図るために「ライオンズらしい野球」なるものが語られるならそれには大いに意味がある。例えば、黄金期のチームでよく言われていたのは「ミスがない」や「ソツがない」という事だった。当時はベース戦力は高かったが、その戦力に任せて荒い野球をするのではなく、むしろ細かい作戦も他のチームより優れていた。試合の流れを失うような下手なミスは少なく、「隙がない」印象を受けるチームだった。こうしたかつて存在した良いチームを一つの目標として、それを回復するという意味で「ライオンズらしい野球をしたい」というなら正しい方向性である。

ただ、一般論として世の中で見かける「〇〇らしい戦いを目指す」というのは「自分達の特徴をだせれば、例え負けても許容できる」と言う意味である事が多い。例えば、サッカーの世界でヨハン・クライフというスーパースターは「1-0」で勝つより「3-4」で負ける方が良いと言ったそうである。これはリスクを犯して点を取りにいく攻撃的なサッカーという自分らしさへの拘りが、勝敗よりも優先されるという事例である。そこまで極端ではないにせよ、五輪の選手が敗者となった後のインタビューで「負けましたけど、自分らしく戦えたので、、、」という受け答えをするのは時折見かける。勿論それは、負けた悔しさがないという意味ではない。だが、自らのパフォーマンスの評価にに対して勝ち負け以外の物差しが入っている事は事実である。そして、時にそれは負けた時の言い訳と化す。負けた時の言い訳が用意されていてトコトン勝ちに拘れる人というのは少なく。アマの場合は時に勝ち負けではない何かが勝敗より重要という事はあり得るが、プロでそれはあり得ない。

「新しいライオンズらしい野球」という発想は「勝てるチームになるために」チームの目指すべき方向性を示す事が伴わないならば、負けた時の言い訳になり得る危ういシロモノである。勿論、この外崎選手の言葉だけで全てを判断できるわけではないが、仮に「新しいライオンズらしい野球」をする事がチームの最終目標になるようでは勝てるチームにはならない。松井政権のチームがそうならない事を切に願いたい。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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