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松井稼頭央選手にコーチの肩書は不要

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今晩は。tthgです。今回は復帰した松井稼頭央選手のコーチ就任について

正式に松井稼頭央選手のライオンズ復帰が発表された。松井選手の復帰を望んでいたtthgとしては素直に嬉しい。松井選手へtthgが望むことは下記の記事で書いたので、今回は松井選手の「コーチ就任」について。


tthg的には「コーチ」の肩書は必要ないと考えている。その理由は次の二つ。①コーチの肩書が現役選手としての可能性を狭めること。②コーチの肩書が逆にコーチングの邪魔になる可能性があること。

まず、①について。まず、松井選手が、選手として成績が残せなかった場合を想定して欲しい。報道によると、成績が残せず選手として2軍落ちでも、1軍に帯同する可能性があるとのこと。こうなった時、「選手として貢献できなくても、コーチとして貢献しよう」と考えるのは自然だし、コーチとしてお金をもらう以上当然のことだ。しかし、その感情は現役としては多くの場合マイナスである。

現役の終わりが近いことが明白な選手にとって、選手としての成績が残せない中、コーチ業を並行している状況で、もう一度現役としての鍛錬を続けることは並大抵のことではない。「現役では限界が見えたから、それに見切りをつけてコーチとして勉強したい」という気持ちがどうしたって心によぎる。その気持ちに打ち勝って、慣れないコーチ業と並行して現役としての鍛錬を不調を脱する程に行うことは相当難しいはずだ。コーチの肩書を外して「現役として、古巣ライオンズで絶対もう一花咲かすんだ」という強い決意の中でもう一シーズンやったほうが、現役の松井選手が活躍する可能性があがる。

次に②について、そもそも前提として、松井選手にコーチの肩書がなくても、向上心の高い選手なら松井選手に教えを乞うはずだ。プロ入り後ショート転向して0から守備を磨いた。同時にスイッチに挑戦し、左打席での打撃を磨く。最初は長打の出なかった左打席でホームランを打てるようになり、トリプルスリーを達成。こうした松井選手のプロでの実績をちょっと見れば、「この人のプロ生活についての話には、高いお金を払っても無駄ではない価値がある」ことぐらい容易に想像がつく。そうした松井選手に話を聞きたい選手は必ずいるので、コーチの肩書がなくても「コーチング」は成立する。

しかし、肩書があると、こうした向上心がなく、松井選手の話にあまり価値を感じない選手にも「コーチ」をしなくてはいけない。tthg的にはコーチに聞きにこなないような選手に教える必要はないと思う。しかし、日本の文化として「積極的に介入すること」がコーチだと言われているので、新米コーチがただ受け身という状況は成立しずらい。その中で、松井選手が現役として数字が残せなかった場合に、自ら、動いて「コーチング」しようとしたと仮定して欲しい。もともと松井選手から教えて欲しいと思っている選手は問題ないが、そうでない選手からしたら「そうは言っても、松井さん数字残してないじゃん」ということになりかねない。この状況はコーチしないより悪い状況と言えよう。コーチの肩書がなければ、無理に「コーチング」する必要はなく、積極的に教えを受けたい選手だけに教えておけば良いからこうした問題はないし、必要な「コーチング」は成立する。

今から、コーチの肩書を外すのは現実的でないから、運用面で「選手優先」と「コーチは受け身で良い」という取り決めをしてはどうか。渡辺SDは台湾でのコーチ時代、言葉の壁からコーチングが成立しないので、自ら選手に復帰して投げて見せたという。そして台湾で最多勝の活躍をすることで、周りの選手の信頼を得て「コーチ」として成功した。松井選手の目指すべきは、渡辺SDの台湾時代ではないか。松井選手が数字を残せば、結果的に周りの選手が、「松井コーチ」を必要とするようになるはずだ。

そして、松井選手が選手として再生して、来年のCSた日本シリーズで「狙い球は剛速球~」を熱唱できたらtthg的には最高である。

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