選手にとって一番幸せなプロキャリアのスタートとは
今晩は。練習試合とは言え対外試合が始まると試合がない日はちょっと寂しいtthgです。
報道によると、サッカーFC東京の平山相太氏が引退するとのこと。野球界には平山氏の引退自体は大きなニュースではないが、彼のサッカーのプロキャリアは「プロキャリアのスタートの仕方」という点で示唆に富むものだ。
サッカーをご存じない方に説明すると、平山氏は野球界で言うところの今年の清宮選手のようなアマチュア界のスーパースターだった。その平山氏が国見高校を卒業する際、監督の勧めで筑波大学への進学を選択する。監督の言い分としてはJリーグで成功しても、一生安泰ではない事実を重く見ていたということらしい。相対的に野球より選手寿命が短く、世界的に観れば日本の高卒デビューでも遅いと言われるサッカー界にあっては、平山氏の大学進学には疑問の声が大きかった。
結局平山氏は、大学の途中で方向転換し、プロデビューした。しかも日本ではなく、サッカー大国の一つであるオランダリーグ。(野球の世界で言えば、日本プロ野球ぐらいの位置づけ。ちなみにJリーグは野球で言うところの台湾ないし韓国リーグぐらい)そこで、一年目に8得点を挙げる活躍(野球でい言えば打率2割8分ホームラン20本ぐらい)をするも、次第に生活の乱れによる体重増が報道されるなどして2年目は活躍できず、日本に帰国。その後はJリーグでプロキャリアを積むも期待されたような活躍はできずにおわってしまった。
外から眺めていると、いきなりJリーグを飛び越えて外国のプロリーグへ行った選択は功を焦ったように感じる。如何にJリーグのレベルが低いという現実はあるにせよ、プロキャリアがあるかないかは、海外に出る上での基盤として重要だったはずだ。特にオランダでの失敗は私生活をコントロールできなかったことによる無駄な体重増が一つの原因であり、この点についてはJリーグで良いプロの模範に学ぶことがあれば大きく変わった可能性がある。
しかし、育成年代の世界大会で実績を残し、外国からのオファーもあった平山氏にとって大学で停滞を感じる中、さらに回り道をしてJリーグで数年経験を積むという選択は難しかったのだろう。帰国後の10年のプロキャリアについて詳細は知らないが、18-22というプロとしての基本を覚える時期に十分な教育もないままに実戦に放り込まれたことはマイナスであったことは間違いない。(帰国後大卒新人のつもりで0から努力できたら違った結果もあったのかもしれないが。)
前置きが長くなったが、この平山氏の例は種目は違えど「プロキャリアのスタート」について野球でも参考になる点は色々ある。まずは、高卒メジャー挑戦のリスク。やはり、異国の地で成功するには、実力だけではたりない。一時的に活躍したわけだから平山氏の実力には問題がなかった。でも長続きしなかった現実は、いきなり海外の難しを物語っている。試しに平山氏に海外挑戦の難しさを語ってもらったら色々発見があるように思う。
国見の監督が危惧したセカンドキャリアの問題は野球界にも一石を投じるものである。大学進学はプロキャリアに必ずしもプラスではないが、セカンドキャリアにおいては非常に重要な一面を持つ。野球だけでは一生食べられない選手が大半であることは野球界も同じであり、それに対する回答が十分でないのも現実だ。若年層を獲得したいと思うならば、代償としてセカンドキャリア対策もセットで提示することがプロ球団の責任だと思う。
同時に、プロ入りできる実力があるならば、アマチュアのぬるま湯につかるのは時間のムダというのも事実だ。高卒時点でプロ級の技術があった平山氏にとって、年代別日本代表のレベルと大学サッカーのレベルの違いは大きな悩みの種だったはずだ。そんな平山氏から話を聞けば、プロでもまれることの重要性を説く材料になる。野球界でも、今日的にはメジャーを見据えた場合、サッカーと同様高卒でも遅いという側面も出てきた。その意味でも、早めのプロ入りという課題は野球界でも検討が必要である。
とりあえず、ライオンズには、平山氏に話を聞いてみたらどうだろうか。色々発見があると思うのだが。
ライオンズに関する他の人気ブログはこちら。
にほんブログ村
プロ野球に関する他の人気ブログはこちら
にほんブログ村