メットライフドームの歴史的価値

おはようございます。真夏のダブルヘッダーへ向かうtthgです。

実は今日メットライフドームへ向かっている。おそらくこのブログを覗きに来る多くの方は「今日はヤフオクだろ」と突っ込む筈だ。そう。行き先はメットライフだが用件はライオンズではなくGLAYのライブである。ライオンズファンであり、GLAYファンであるtthg的にはたまらんコラボなのである。という事でシーズン中で試合時間とかぶるライブに行く事にした。ただ、今日はライブが終わり次第、ライオンズ戦の中継が見られる所沢のバーに移動し、sinndarさんと応援する予定である。(sinndarさんは先に待っている予定)時間的には8時過ぎからスマホで中継を見ながら所沢着は9時過ぎ。ライブ堪能してからフィナーレにsinndarさんと共に歓喜の瞬間を共有というダブルヘッダーになったら最高である。



さて、今日のお題はメットライフドームの歴史的価値について。まずtthgがGLAYのファンクラブ企画の今日のライブの特派員(ライブの観戦記者としてファンクラブから派遣される企画)に応募しようとした時に書いたメットライフドームについての作文をご覧いただきたい。(作文は書いたけど特派員企画は諸事情で応募しなかった)

メットライフドームは日本人にとって特別な場所である。

昭和の時代野球は「巨人、大鵬、卵焼き」と称されるほど生活の一部として浸透していた。大鵬関は日本の国技である相撲の大横綱だが、昭和の時代はその大鵬関に巨人という野球チームが並列に語られいた。この事実は野球というスポーツが、日本人にとって非常に大きな存在であったことを示す証拠である。日本人にとっての野球の価値は令和の時代に入っても変わらない。プロ野球の観客動員は未だに右肩上がりで、日本で年間2,500万人もの観客を集めるスポーツは他にない。

その国民的スポーツである野球の歴史において、メットライフドームは特別な場所である。昭和から平成に差し掛かる時代、まだメットライフドームが西武球場と呼ばれた時代、この場所を本拠地としていた西武ライオンズというチームが無類の強さを誇っていた。昭和57年から平成6年までの13年間に11度のリーグ優勝8度の日本一。この西武ライオンズの記録は、昭和の時代に大鵬関と並び称されていた巨人のVナインに勝るとも劣らない大記録である。そしてメットライフドームはその強いライオンズの全てを見届けた歴史の証人である。巨人のVナインを見守った後楽園球場が現存しないことを考慮すれば、現存の野球場の歴史的価値の序列を付けた時、メットライフドームの順位は相当高いものになる。

日本の国技である相撲において最も格式の高い場所である国技館で行われるアーチストのコンサートが特別なものであるように、プロ野球の歴史において重要な地位を占めるメットライフドームにおけるコンサートも特別なものである。その場所でGLAYが演奏する時どんなコラボレーションが生まれるのか。考えただけでも気分は高揚する。

図らずもこの作文を書いてメットライフドームの野球場としての価値を考えさせられた。歴史のある野球場として現存しているのは甲子園や神宮もある。しかし、これらの球場を本拠地としてチームは黄金時代ライオンズのような強さ故に歴史に名を残してはいない。(ある意味神宮はライオンズが歴史的名勝負を演じた球場でもあるが)故に歴史的価値のベクトルが違う。史上最強とも言われるチームの歴史を見届けてきたメットライフドームの野球場としての歴史的価値は決して小さくない。そう考えるとその球場で野球を観戦できる事は幸せな事だ。これからメットライフに行く時はそうした野球史に少しだけ思いを巡らせてみたいと思う。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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