チームのために自分を犠牲にする必要はない。

今晩は。組織論大好きtthgです。

野球の個人の心持ちとして「チームのために個人を犠牲にする」というものがある。そしてこれは時として賞賛される。しかし、tthgはこれを賞賛する気にはならない。なぜなら、「チームのために個人がなるという事はありえない」と考えているからだ。



この考え方で代表的な例としてあげられるのは4番がチャンスで長打を狙わず軽打するというものがである。しかし、これは本当に「チームのために犠牲を払った」と言えるのか。確かに本塁打王というタイトルの可能性は下がる行為である。だがそれでチームに勝利がもたらされるならそれは個人のためになる。明らかに優勝した方が個人の給料はあがる。仮に上がらなくても優勝チームの主軸でいる限り首はない。長期的には単年のタイトルより、チームの勝利に最大限貢献した方が個人としても特である。これを実践してきた清原和博氏は主要タイトルの経験はないが黄金期ライオンズの打者で誰よりも輝いていた。かつて森監督ら清原氏に「タイトルはなくとも日本一のチームの4番はお前しかいない」と清原氏を賞賛したがこれこそ最大のタイトルであり個人としての栄誉である。

清原氏のような例は確かに稀有な例だが、他のケースでも、チームのために自分の出来ることをする選手が結局は長くチームに残る。あるいは、当該チームで残れなくても他のチームで拾ってもらえる。去年イーグルスでいぶし銀の働きをした渡辺直人選手などがその際たる例だろう。チームの勝ちより個人の印象度を優先するような選手は長期的にキャリアを伸ばす事は出来ない。チームの事を考えて行動すれば結果的に自分に返ってくる。

今現在、脇役的な位置にいて「チームのために自分を犠牲にしている。」と考えている選手がもっと光の当たる存在になりたいとしたらどうだろう。それがしたいなら主役になるべく新たな能力を身につけたらいい。中継ぎで起用されているなら、クローザーになるために新たな変化球を磨いたり、球速をあげるトレーニングをすれば良い。先発したいならスタミナを強化したり、誤魔化しの効く球種を覚えれば良い。守備や走塁の人なら打撃を磨けば良い。長打力がなく中軸が打てないなら確率を保ちつつ長打力をつける努力をすべきだ。

脇役が主役になるために虎視眈々とトレーニングをして競争したらチームが強くなる。脇役としてチャンスがあるならそれは主役になるチャンスがあるという事だ。それは決して自分を犠牲にしているのではなく、主役になるためのチャンスである。そこに犠牲という言葉は違う。その事を認識せず脇役に甘んじる事を正当化するために「犠牲」という言葉を使うのならそれは間違いである。脇役は犠牲などと言わずに主役になれる力をつければそれがチームのためであり個人のためである。

どんな立場に在ろうとチームのために出来ることを最大限すれば個人に還元される。チームと個人の利益が相反するという考え方は無用な悩みを増やすだけなのでやめた方が良い。チームの勝利のために自分の力を使い、足りないところを補う努力をする。それが結果的に個人のためになる。

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チームのために自分を犠牲にする必要はない。” に対して1件のコメントがあります。

  1. 越後の侍 より:

    賛成ですね
     今、キャンプで増田がいろいろと変化球を覚え、新しい自分を見つけ自分のストレートを生かそうとしたり、源田、森、外崎あたりは自分の良さを伸ばそうとキャンプで一生懸命頑張っています。ペナントレースでは彼らの良さを消さず勝負するのが一番いいし、しかしたまには犠打を使うことが来るかもしれない。でもそれは極力ない方がいいです

     ただ聞いてみたいのは、CS時、内川に犠打を命じたりしていました。好不調、短期決戦があるとはいえ結果的には当ったのですが、こういう場合難しいですね

    1. tthg より:

      犠打について言えば、確率論としてそれが正解となる確証があるならやれば良いと思います。それで結果としてチームが勝てば個人にも還元されるわけですから。

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